現場を知れば知る程あらためて気づかされる写真というものの価値。大量に集まる拾得物の約9割は写真やアルバムなのです。水も電気もない中で、写真を洗っている人たちの姿から、私たちは、
ということに強く心を揺さぶられます。
基本的には、各地の社会福祉協議会などのボランティア団体が写真洗浄に取り組んでいるケースが多い中、宮城県名取市閖上の『ゆりあげ思い出探し隊』では、mixiの呼びかけに応じた自主ボランティアの方たちが写真洗浄をしているのも印象的でした。そういった様々な現場を見ていく中で、そこに明確なリーダーがいるかいないかによって、写真洗浄の進行具合に大きく差があるということも見えてきました。
5月下旬にはじめて訪問した気仙沼の唐桑体育館では、アルバムや写真がほぼ手つかずのまま床一面に並べられていました。しかしこの頃になると、バクテリアやカビによる写真の劣化が進みはじめており、一刻も早く写真洗浄をしなければ、その劣化はどんどんひどくなるばかりです。そのためいち早く写真洗浄を進めることが大切で、気温が上がる夏までに写真洗浄をどこまで終えられるかということが、現場の皆さんにとっては、とても重要なポイントとなっていました。しかし当時、唐桑体育館では、バラ写真はともかく、アルバムの写真まで洗浄することは完全にあきらめている状態でした。そのとき私たちは同じ気仙沼市の階上で写真洗浄を終えたばかりの高井さんの言葉を思い出しました。
私たちは、高井さんとともに唐桑体育館へと向かいます。そこで高井さんが気仙沼市の職員の方と交渉し、唐桑体育館の写真洗浄においても高井さんがリーダーを務めることとなりました。そして高井さんは大量の写真やアルバムを前に、自分たちで洗浄しようとするだけでなく、信頼出来る外部の人たちに写真洗浄を依頼することを決めました。
写真は言うまでもなくプライベートなものです。私たちが活動を始めた頃は、それを遠隔地の第三者の手に委ねることに、多くの自治体では抵抗がありました。
しかし先述のとおり、夏までが勝負という緊迫した状況の中、私たちとしても写真を外部にもち出して洗浄することを支援したいと考えました。私たちの活動が広く知られるようになったことで、富士フイルムなら任せても大丈夫という信頼関係も生まれていました。このような期待に応えるため、私たちは社内ボランティアを募り、まだ洗浄されていない多くの写真を送っていただき、神奈川工場足柄サイトで洗浄することを決めました。